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前漢時代の末期から新そして後漢までの時代の用語、人物等を記載。
参考文献:白帝社アジア史選書 王莽より抜粋
***王氏五侯(王莽の叔父達) [#oea040fb]
・平阿侯(へいあこう)・王譚(おうたん:成帝の舅)
・成都侯(せいとこう)・王商(おうしょう)
・紅陽侯(こうようこう)・王立(おうりつ)
・曲陽侯(こくようこう)・王根(おうこん)
・高平侯(こうへいこう)・王逢時(おうほうじ)
***五経(ごきょう) [#x37e5b33]
・易・書・詩・春秋・礼
※『孝経』と『論語』をいれて孔子七経とも言われる。
***列侯(れっこう)と列国(れっこく) [#g96fe34c]
列侯に与えられた封地は『列国』といい、侯国には『相(しょう)』と呼ばれる長官が中央から派遣される。県の『令(れい)』または『長』と同格の官吏(かんり)である。列侯は封地の民戸から『租(税)』を収取し、民戸を服属使役する権利を有していたが、行政権・裁判権・軍事権についてはなんら機能が無く、列国の相が一切の行政を執行していた。
***貨幣価値 [#f0b4a8b1]
大雑把に換算して漢代の一銭は現在の180円程度である。
史記より千戸の領主の場合、租税収入は一戸より年間ニ百銭を出すとすれば二十万銭になると言われている。
***王獲(おうかく) [#ceee4f58]
王莽の次男。奴隷殺害の罪により父・王莽より自害させられる。
***南陽の六士 [#h9e99b51]
王莽政権に反対し有名人士となる。
・南陽(なんよう)郡宛(えん)県の卓茂(たくも)
・南陽郡宛県の孔休(こうきゅう)
・陳留(ちんりゅう)郡の蔡勲(さいくん)
・安衆(あんしゅう)侯・劉崇(りゅうすう)の従弟で劉宣(りゅうせん)
・楚国のキョウ(龍の下に共)勝(きょうしょう)
・上党(じょうとう)郡のホウ(魚包)宣。
***安漢公・王莽の時代 [#m0bfe92d]
・王舜(おうしゅん:王莽のまた従兄弟で大司馬・王音の子供)
・王邑(おうゆう:王莽の従弟で王商の次男)
・孫建
他
***漢代二十等爵位 [#k7fd3384]
01.公士(こうし)
02.上造(じょうぞう)
03.シンジョウ
04.不更(ふこう)
05.大夫(たいふ)
06.官大夫(かんたいふ)
07.公大夫(こうたいふ)
08.公乗(こうじょう)
09.五大夫(ごたいふ)
10.左庶長(うしょちょう)
11.右庶長(さしょちょう)
12.左更(さこう)
13.中更(ちゅうこう)
14.右更(うこう)
15.少上造(しょうぞうじょう)
16.大上造(だいじょうぞう)
17.駟車庶長(ししゃしょちょう)
18.大庶長(だいしょちょう)
19.関内侯(かんだいこう)
20.列侯(れっこう)
***漢代の学生 [#o823263b]
漢代の学生は『諸生(しょせい)』と呼ばれた。諸生は通常15歳くらいから遠方へ遊学した。それ以前の初等教育は『書館』に通い習うものだったらしい。
***九錫(きゅうしゃく) [#idc4e5f4]
・車馬
・衣服
・楽県(がくけん)
・朱戸(しゅこ:朱色の扉)
・納陛(のうへい:階段の雨おおい)
・武賁(ぶふん:賁は光彩を添える意、防具かな?)
・鉄鉞(ふえつ:鉄の鉞(まさかり:軍隊の最高司令官のしるし))
・弓矢
・柜鬯(きょちょう:酒)
◇王莽が九錫を賜った時のモノ現代語訳
・緑色のひざ掛けと竜の刺繍のある衣服及び玉すだれをつけた冠などの礼服
・玉製の佩刀(はいとう)の飾り
・先に飾りのある履(くつ)
・鸞鳥(らんちょう)を飾った4頭立ての馬車と馬
・龍を描いた旗九本
・鹿皮の冠と白の裳(もすそ)
・戦車と四頭の馬
・左右に立てる朱色と金色の斧
・甲冑一具
・柜鬯(きょちょう)ニ卣(ゆう):黒黍(こくしょ)で醸(かも)した二樽の酒
・圭(けい)サン(王贊)二:宗廟(祖先、特に君主の祖先の霊をまつった建物)に用いる酒器
・青い上円下方の玉具
・朱戸納陛(朱色の扉と階段の雨おおい)
***宰衡(さいこう) [#sbe0aa57]
***摂皇帝(せつこうてい) [#d8253420]
王莽は二歳の劉嬰を皇太子にした。
その時、官民には『摂皇帝』と呼ばせ、自らは臣妾(しんしょう)と称して天子に対すると同様にさせた。また祭祀の場においては『仮皇帝』と称し、自らを『予』と自称した。
***六畜(りくきゅう) [#k965748a]
家畜や生贄にする馬・牛・羊・豚・犬・鳥のこと。
孺子嬰は六畜さえ知らなかったと言われている。王莽の孫娘を妻にしたと伝えられている。
***孺子嬰(じゅしえい) [#g4c6bbcf]
本名は劉嬰(りゅうえい)。
前漢最後の皇帝で号を孺子という。
二歳で皇太子となるが、王莽に帝位簒奪される(うばわれる)と安定公と称して一万戸与えられたが、実際は座敷牢での南京生活であったと言われる。
西暦25年、更始帝・劉玄が長安に入った時、孺子嬰は長安にいたが、方望(ほうぼう)等に拉致られて臨涇(りんけい)で天子として擁立させられるが、更始帝・劉玄の勅命により丞相・季松(りしょう)によって方望等は討ち取られた。この時、孺子嬰も殺された。
***王太后(おうたいこう) [#bb6dba14]
沢山いるかと思うが、今回は王莽の娘で平帝皇后、二年足らずで平帝が崩御し皇太后となる。王莽が即位すると定安太后へと称号が変更される。明光殿を改造して定安館として住まわせられた。彼女は劉氏が廃されて以降、朝会にも病気と称して参加しなかった。
王莽が殺されると王太后は「何の面目があって漢家のまみえん」と言って火中に身を投じて自殺する。享年32歳。
***五等爵制 [#yfd2a6fe]
公侯伯子男の順。
周代の制度を一部の部下に与えた。
他は二十位制度を利用していたと考えられる。
***封土四等 [#ne4b0eb3]
土地のサイズ。
公一等、侯伯二等、子男三等、附庸(ふよう)四等
***漢の法律① [#qdd20a74]
漢律では、罪人と関わりを三日以上もつと『知情(事情を知る)』とされ連座するが、『不
知情』であれば連座しない規定があった。
***符命(ふめい) [#hc24c2fb]
符とは割り符のこと。
木の札などを二つに折ってそれをあわせて合致することを符合という。
命とは『天命』神様の命令でともに『しるし』を意味する。
そうした『しるし』によって明示された天命を『符命』と称する。
めでたい『しるし』の場合は『符瑞』とも言われれる。
***讖緯(しんい) [#ode0301c]
讖(しん)は『図讖(としん)』とも言い、もともと予言を意味する。
緯(い)は縦糸の『経』に対する横糸の『緯』であり、儒教家の非合理的な部分を解釈したのが『緯書』だった。これが天文占と合体して予兆と災異思想や瑞祥思想、陰陽五行説などと絡まり予言などあ扱ったものを『緯書』と呼ぶようになった。
***玉牒(ぎょくちょう) [#c12bf524]
玉牒とは、祭天の蔡に祭文を玉版に記したもの。
***伝国璽(でんこくじ) [#w2646d76]
個人的には『伝国の御璽(ぎょじ)』と訳すのが好き。真か嘘か竜の象られたモノだった。
三国志で孫堅が竜の角が折れているから本物という話が入る事もあるが、角を折ったのがこの王政君。
王政君(おうせいくん、紀元前71年 - 13年)は、元帝(劉奭)の皇后で、成帝(劉驁)の生母。孝元皇后、元后、孝元皇太后、孝元太皇太后と称される。王莽の伯母にあたる。
伝国璽を王莽の命令で王瞬が受け取りに行くと、元后は
「お前の眷属、父母や宗族は漢家のおかげで代々富貴となれたのに、ちっともお返しをせず、父親のいない幼帝の面倒を見ながら都合よく時に乗じてその国を奪い取ろうとし、さらさら恩義を顧みようとしない。人間もこうまですれば、その食べ残しは犬や豚でさえも食わないだろう。広い世界にお前等兄弟のような者はおるまい。それに、もし自分から金匱(きんき)の符命を理由に新皇帝となり、暦や制服を変更しようと言うのなら、自分で御璽を作り、それを万世にまで伝えたらよかろう。どうして亡国不詳の御璽を使いたい為にこれを欲しているのか。私は漢家の寡婦だ。もうまもなく死ぬだろう。出来ればこの御璽とともに葬って欲しいと思っている。渡す事などできない」
と断るが王瞬が王莽の命令に逆らうとどのような目に合うか分からないと言われ仕方無しにこれを地面に投げつけ叫んだ。
「私は年老いた身だが、これで死んだようなものだ。お前達兄弟は何れ一族滅殺のされっるだろう」
この時に竜の角が片方折れたそうな。
めでたくなしめでたくなし。
***五行相生説 [#x9fcb0c8]
木・火・土・金・水の順に王朝交代が行われるという思想。
①木・太皞伏義(ふっき)氏
閏水(じゅんすい?) 共工
②火・炎帝神農(しんのう)氏
③土・黄帝軒轅(こうてい・けんえん)氏
④金・少皞(しょうこう)金天氏
⑤水・顓頊(せんぎょく)高陽氏
⑥木・帝嚳(ていこく)高辛氏
閏水・帝擊
⑦火・帝尭(ていぎょう)陶陽氏
⑧土・帝舜(ていしゅん)有虞氏
⑨金・伯兎(はくう)夏后氏
⑩水・殷(商)
⑪木・周
閏水・秦
⑫火・漢
⑬土・新
***新王朝の新官制 [#g182c4fa]
始建国元年に発布された新官制には四輔・三公・四将・九卿・六監の主要官職はある。
『礼記』王制篇には
天子・三公・九卿・二十七大夫・八十一元士
という整然とした官制に基づき、九卿の下には一卿につき三大夫つづの二十七大夫、一大夫ごとに三元士が下属する八十一元士が官位の階層を形成した。